障がい受容エトセトラ

『障がいは受容させるものか』の前編を公開した直後に、いただいた感想や受講した研修から、追加しておきたいことが出てきました。

後編に入りきれなかったので、別記事にしました。

『障がいは受容させるものか 前編』

『障がいは受容させるものか 後編』

 

まとめてみたら、社会資源(制度や機関など)の利用という共通項になりましたね。

 

これも、障がい受容に大きく関係してくる事柄です。

どの場合でも、保護者の主体性を尊重することが基本だと思います。

 

 

1)保護者の支え合いの場の利用

 

①同じ保護者にしかわからないことがある

障がいを持つ親同士の集まりに参加することや、先輩の親に相談することは、障がい受容のプロセスにおいて、大きな支えになることがあります。

 

孤独な子育てだったのが、同じ悩みを持つ仲間に出会って共感し合ったり、先の見通しがわかることで将来への不安が減ったりと、親御さん同士でしかわかり合えないことが確かにあると思います。

私は、ペアレントメンター※養成にずっと関わっていますが、『共感』という点において、メンターさんには叶わないなと、つくづく感じております。
(だから、もっと別のことを磨かねば、と日々精進しているつもり...です。)
※ペアレントメンター:発達障害者の子供を持つ親であって,その経験を活かし,子供が発達障害の診断を受けて間もない親などに対して助言を行う者(厚生労働省HPより)
 
 
②支援者が気をつけておきたいこと
保護者によっては、親同士の集まりの場が支えにならない場合もあることを、支援者は知っておくといいと思います。

親の会や療育グループなどの情報提供はした方がよいですし、参加の必要性や目的、効果などの説明もしますが、ニーズがなさそうな場合には、無理に勧めないことが肝要です。

人数が多い中でコミュニケーションをとることが苦手な保護者もいます。
前向きな保護者を見ると、そうでない自分を責めて落ち込んでしまう保護者もいます。
グループ内で子どもの障がいのタイプが違う場合には、かえって孤立感を高めることもあります。

告知直後は特に、メンバー構成や話題の選択、専門家によるファシリテートやフォロー体制など、配慮が充分なされた上での、保護者同士の交流が望ましいと考えます。

障がいを認めたがらない保護者に対して、同じ立場である先輩の保護者なら、説得してもらえるのでは、と期待していた支援者の話を聞いたことがありました。
少し安易かなと思いますが、受容させなきゃと焦るがあまり、なのでしょうね。
 
けれど、そもそも説得することは、誰がやってもムリなことです。
先輩保護者と話すことそのものはよいことですが、受容させることがゴールになると誰もが苦しい思いをするのではと思います。


③さまざまな機会を選べるように
親の会に参加するのは敷居が高いけれど、他の保護者がどうしているか知りたい、という方は結構多いと思います。
 
だから私は、相談の中で、個人情報に配慮した上で、こうしている方もいますよ、このことに悩んでいる人は多いですよ、など他の方のお話をすることがよくあります。
結構興味を持って聞いてくださるし、安心もされるようです。
 
最近は、保護者が書かれた書籍や漫画もたくさん出てますし、ブログやSNSなどインターネットで発信する保護者も随分増えました。
保護者が体験談を話す研修会も各地で開催されています。
直接交流はしなくても、そういう情報だけほしい、という方もいるのです。
 
それと、最初は必要がないと思ったり、他の人の話を聞く余裕がなかったりしても、時間が経つと気持ちが変わることもあります。その場合はタイミングを見て再度お誘いしてもよいかもしれません。
 
障がいを受容するプロセスは人それぞれで、何を支えにどのように受け容れていくかは、その保護者自身が選んでいくことです。
保護者同士の支えに関しても同様ですので、支援側がさまざまな機会を提供できるといいなと思います。

      

 

2)進路選択への情報提供とサポート

 

子どもの障がいの状況から、明らかに難しいであろう進路を希望する保護者に出会うことは多いのではないかと思います。

 

幼児期であれば、児童発達支援センターではなく一般の幼稚園・保育園に行かせたい。

就学時には、地域の小学校や通常学級への入学などを希望する。

さらに高校の進学や就労をどうするかなど、進路の選択は、とても悩むことです。

 

支援者は情報提供だけでなく、相談を受けることも多く、保護者の障がい受容の状況と関連が深い事柄だと思っています。

 

 

①進路は誰が決めるのか

障がい福祉の領域でも、進路指導、という言葉をよく耳にします。

公的機関に勤めていたとき、通園施設や就学相談会の情報提供をして、子どもに合った進路をお勧めすることも仕事の一つでした。

その時からずっと、この言葉が違和感だったんですよね。

 

専門家が示した道に進むことが最良の選択で、それ以外の道を選ぼうとすることはあまりよろしくないようなニュアンスが、この言葉に見え隠れするのです。

 

もちろん、定員や職員数の問題から、希望した進路に進めないことはあります。

例えば、児童発達支援センターや通級指導教室などは、希望者が多くては入れない狭き門です。

 

一昔前の福祉に、「措置」という言葉があったように、どこの施設に行くかを決めるのは行政の役割でした。

ですが、今はそういう時代でもありません。(名残のように「指導」という言葉は残っていますけど。)

 

「先生は、どこがいいと思いますか?」という質問をたくさん受けました。

つい「ここがいいですよ」と答えたくなったり、実際に答えを求められることも多いんですけど、私自身、進路こそ、誰かが決めることではなく、その家族が主体的に選べるとよいなと思っています。

 

 

②完璧な選択はあり得ない

支援者は進路先の情報提供をしますが、実際には保護者が見学に行くことを勧めます。環境や雰囲気などは、見てみないとわからないからです。

 

ふわっとしていて申し訳ないんですけど、見に行った時の、ここなら合いそう、ここは何かヤダ、ここに行きたい、という保護者の直感を信頼しているんですよね。

場合によってはお子さん自身を連れていくこともありです。

 

また、疑問点などわからないことがあったら、直接進路先に聞いてもらうようにします。

相談機関にある情報は、一部だったり、ちょっと古かったりすることもあります。

保護者は、「こんなこと聞いていいのでしょうか」と思うことも多いですので、「聞いていいと思いますよ」という専門家の言葉が後押しになることはよくあります。

 

それに、相手がどう答えるのか、ということからも、雰囲気がわかるかもしれません。

情報を集める、というプロセスに、保護者自身が携わることで主体性が意識されることにもなります。

 

進路の相談にあたって、私自身は、単純にどこがいいか、ではなく、どういう視点で情報を集めて、どう考えて選ぶとよいか、を助言するようにしていました。

 

特に大事にしていたのは、保護者が我が子に何を育てたいか、今の子どもにとってそれが学びやすい環境とは何だと思うか、を問いかけて、話し合うことです。

その子にとって100%ピッタリの進路はありません。どこに行っても、メリットだけでなく、デメリットもあります。

 

校区の小学校では、勉強にはついていけなくても、地域に理解者を増やせるかもしれません。

大人数や友だち関係は苦手だから、通常学級の大きな集団で学ぶより、特別支援学級の少人数の中で、習熟度に合わせてゆっくりと勉強する方が合っているかもしれません。

 

我が子の今とこれからよく観察した上で、メリットデメリットを検討しながら、選んでいくプロセスそのものが必要なんですよね。

 

直接お子さんに関わっている支援者ならば、普段の様子(または検査結果など)から、こんな環境だと学びやすいみたい、こういう活動が多いと楽しめて成長しやすいと思う、などをお伝えすると参考になるかもしれません。

 

長年、相談に携わっていると、他の事例も見聞きすることも多くなります。こんなタイプのお子さんは、園や学校でこんなことに困りやすい、あるいは、こういうことがよかった、という共通事項も多いですので、参考程度にご紹介することもあります。

 

時々、この進路はちょっと難しいかも、と思うこともあります。

どうしてものときは、根拠となる理由(私は検査場面での様子からが多かったです)と、予測され得る難しさを説明して、「私の一意見として、こちらがいいと思いますが、最終的には家族で決められてください」と伝えるようにしてました。

 

 

③回り道をしてもいい

何かを選ぶことは怖いです。責任も出てきますし、うまくいかないと後悔も出てきます。

今は情報もあふれてますし、選ぶのが難しい時代になってきたのかもしれません。

誰かに決めてもらう方が一時的には楽かもしれませんが、その人は我が子の将来をずっと背負ってくれるわけではないのです。

 

保護者によくお伝えしていたのは、「迷いはあって当然です。情報を集めて、自分の目で見て、しっかり悩んでください」ということです。

いずれどの段階かで決めないといけません。「しっかり悩んだ上で、その時決めた答えが正しいのだと思います」とお話ししていました。

 

障がい受容の最中にいる保護者は、支援者が合ってるかなと思う進路を選ばないこともあります。でも、私はそれでいい、と思っています。

やってみて、実際に難しいんだと実感することで、障がいを受け容れられることもあります。

 

先述しましたが、未来のことは誰にもわかりません。チャレンジしてみることもあり、だと思います。

近年は、学校や福祉の制度が整ってきている分、障がいがある子は、こういうコースに進む、と決められすぎてしまう傾向があるように思います。

だから、専門家も含めて周りから特別支援学級を勧められているのに、そこを選ばない保護者はよくない、というような何となくの風潮があるように感じています。

 

もしかしたら、その保護者が行動を起こすことで切り開かれる道があるかもしれません。やってみて、違うなと思ったら方向転換をすればいいですし、長い人生ですから、お子さんの成長は思いもかけないこともあります。

 

自分の人生ですから、自ら実感し、納得しながら決めたいですよね。

外から見たら遠回りのようですけど、その人にとっては、必要な道なんだと思います。

 

 

3)支援機関を転々とする場合

 

障がいを告知された後に、別の医療機関をあちこち受診することにもよく出会います。

いわゆるセカンドオピニオンを求めることですけど、障がいを否定してもらいたくて行く場合もよくあります。

 

また、障がい名は納得しているけれど、よりよい療育やトレーニング先を求めて、あちこちと見学、相談に行かれることもよく起こります。

 

これには、治すためにやっている場合と、治らないことはわかっているけれども障がいを少しでも改善(軽減)させるために、よりよい療育を受けさせたい、という場合があるようです。

 

どちらにしても、やはり繰り返し書いているように、その保護者が、納得いくまでやってみたらよいのでは、というスタンスです。

 

ただし、「療育」という言葉は、「どこか専門機関に通って子どもをトレーニングすること」に限定された意味で使われることが多いです。

我が子の障がいがわかった時に保護者がすべきことは、よい療育を受けさせることだ、という考えが何となくあるように感じています。

ですが、私自身、特に幼児期から学童期の療育とは、保護者が家庭での関わり方を知るために通うものだと考えています。

 

だから、どんなによい専門家や療育機関に出会ったとしても、家庭で実践しなければ、毎日ともに過ごす保護者の理解と具体的な生活への支援がなければ、いわゆる療育の効果はなかなか得られません。

(発達障がいは、特性として汎化が弱く、ある場所で学んだことを別な場所で応用することが苦手である、というのも一つの理由です。)

 

もっと言えば、家庭(や学校)という日常の場でしっかり理解と対応がなされているのなら、療育機関に通う必要性はあまりないかな、とも思っています。

(余暇やレスパイトなどの福祉サービス利用は、別の話です。)

 

障がい受容(と理解)に関連することとして、家庭で我が子に向き合うことのしんどさから、外に支援を求めて、家庭で自身がやれないことをやってもらえる場所はないかと、あちこちと探すことが見られます。

ですが、厳しいことを言うかもしれませんが、親子関係の問題(コミュニケーションが通じ合えないなど)は、社会資源を利用するだけでは解決しません。

(親子の信頼関係が構築された後、親子分離をして、自立に向けた自己理解の支援などは、家庭以外の社会資源を利用できる方がいいです。けど、実際は支援先そのものが少ないのが現状なんですよね…。)

 

医療機関や療育機関を探すことに時間とエネルギーを使っている時期には、家庭での支援が始まらないことも多いです。

支援者は、必要な情報提供と説明をした上で、焦らず、見守っていけたらいいですね。

期待するような社会資源がない、または通わせるだけではうまくいかない、とわかってくると、家庭内で対応せざるを得なくなります。

 

そこは、支援者の出番でもあります。保護者自身が、我が子を理解し具体的に支援できるように手助けする役割もまた、専門性と技量の要ることですので、我々はぜひ腕を磨いていきたいものですね。

(終)

 

 

※ここに書いたことは、これまでの実践経験から得た知恵みたいなもので、研究による検証などは行っておりませんし、今後変わりうることもありますので、そのつもりでお読みください。

 

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