障がいは受容させるものか 後編

「保護者に障がいを理解してもらうにはどうしたらいいのでしょうか」についての考えをまとめてみました。その後編です。

前編から続きます。 

 

 

4)気づきを促すためには

 

園や学校で気になるお子さんがいたとき、それを保護者に伝え、専門機関の受診や相談につなげることは、本当に難しいことだと思います。

 

その際の配慮として、普段から成長を喜び合う信頼関係を作っておくこと、決して急がず納得のいくタイミング(例えば、進級時など)を探すこと、です。

 

伝えるときは、個人でなく、チームで役割分担をすることが原則です。

 

担任は本人や保護者の日々を支える役割に回りますので、他の子との違いや専門機関の紹介、制度利用に関しては管理職が伝えます。

また、受診した結果を踏まえて園や学校がどうしていくつもりか、を具体的に説明することが重要です。

 

時々、巡回相談の専門家や、スクールカウンセラーなどに、専門機関の紹介をお願いする場合もあるようですが、上記の園や学校としての方針が定まっていないのにお任せすることは、あまりお勧めしません。

 

診断は何より、本人の困り感を軽減するために行うものです。他の生徒や先生など周囲のためではありません。

 

発達障がいは、診断がついても、通院すれば治るわけではないです。

一時的に注意集中しやすくなるお薬などはありますが、根本的な解決にはなりません。


発達障がいの支援に、魔法の薬、特効薬はないのです。周囲の理解と適切な関わり、毎日の地道な積み重ねが、将来の自立のためのスキルを育てていきます。

 

毎日過ごす園や学校における診断のメリットが見えなければ、何のために受診をするのでしょうか。

ここが未整理のまま、やみくもに専門機関をすすめても、集団からの排除やレッテル貼りに受け取られ、ますます受診を拒絶されます。

 

 

5)受容に伴う心の揺れに寄り添う

 

告知直後の保護者は、かなり気持ちが揺れます。

普段はそうでもない方でも、ショックで落ち込んだり、攻撃的になったりと、不安定になることはよくあります。

 

と同時に、ホッとしたと言われる方もいます。それまでの困っていたことは、障がいが原因だとわかることで自分のせいだと思わなくて済むからです。(これは診断を受ける意味の一つですね。)

 

将来のことの心配や、これまでの子育てへの反省はありつつも、今後どうしていいかわからないまま、漠然とした不安も抱えています。

 

周囲は、告知後も適宜必要な情報提供をしたり、関わり方を助言したり、継続的な相談に応じます。

いっぺんにはできません。タイミングを見ながら、少しずつです。

感情的な思いは丁寧に聞きます。否定や批判はしません。

 

家庭でつい叱ったとしても、そういうこともありますよ、と伝えます。叩くことの奨励はしませんが、叩きたくなるほどの子育てのしんどさがあると考えます。

 

大事なのは、支援者まで一緒に揺れないことです。揺れそのものは当然と捉え、引きずられずに、ゆったり構えられるといいです。

 

また、お子さんが成長してできることが増えると、もしかしてそのうち周りに追いついて、障がいでなくなるのではないか、という期待を持つこともあります。

 

私が心がけていたのは、障がいに関する見立て(例えば発達検査の結果など)に関しては、保護者がどんな状況だとしても、深刻になり過ぎないよう言い方に配慮しつつ、事実を正確に明確に伝えることです。

これは専門家ならではの、大事な役割の一つだと思っています。

 

ただし、将来(予後)に関して聞かれた場合、あくまでも他の事例や一般論の紹介にとどめ、その子がどうなるかの明言はしないようにしていました。

 

時期が来ないと予後の予測がしにくいこともあるのですが、例え治らないとしても、実際未来がどうなるのかは誰にもわからないことです。

将来、研究が進み、治療方法が開発されるかもしれませんしね。

 

専門家の言葉は影響力があるからこそ、決めつけない姿勢は必須です。

何より、先を心配し過ぎるよりも、保護者が今のその子を見て、焦らず希望を持って子育てができるのが一番です。

 

幼児期には就学くらい、学童期には思春期に向けて、思春期前の10~12歳頃には成人期を見据えて、準備を始めるくらいがちょうどいいのかなと思っています。

(これは、あくまで周囲からのアプローチの目安です。もっと早くに先を知りたい方は、ご自分でどんどん調べるといいと思います。)

 

相談が途切れることもあります。お誘いはしますが、強要はしません。無理に来たとしてもその後続かないことが多いからです。

来にくくならないように、いつでもwelcomeな雰囲気を作れたらいいなと思っています。

 

ちょっと理想像になりましたね…。

私自身、そうありたいなとやってきたことなんですけど、実際はそんなに上手くできていなかったです。

なので、『心構え』くらいに読んでもらえると嬉しいです。

 

 

6)障がいを受容するために必要なこと

 

受け容れがたく、揺れる気持ちを理解し、寄り添うことは必須です。

ですが、私がもっと大事にしているのは、障がいを脳機能のメカニズムの違いとして理解し、脳の働きに合わせた関わりが具体的にできるようになること、を支えることです。

 

保護者自身が障がいのことを学び、我が子の行動の意味がわかったり、構造化などの手立てを実践して効果が実感できたり、我が子とのコミュニケーションが通じ合えたりすると、障がい受容につながっていくのです。

 

逆説的にも思えるのですが、障がいによるできないことや苦手さを受け容れるためには、障がいがあってもできることがあって、ちゃんと成長するんだ、何とかなるんだと実感できることなんですよね。

 

これは、相談を受けていた多くの事例を通じて、私自身が実感したことです。

 

 

7)自らの人生を主体的に生きる

 

たくさんの親子に出会って思うのは、どんなに喧嘩して険悪になっていても、お互いかけがえのない存在なんだ、ということです。

 

思春期以降にはまた変わってきますが、子ども側は幼い頃から、親にこそ認められたい、一番に気持ちをわかってほしいと思います。

 

そして、親の方も、我が子にとっての一番になりたいと願っています。

よい親でありたい、子どものことを一番にわかる親でありたいと、口には出されることはなくても、そう思っている方が多いです。

 

ですが、発達障がいがわかることで、日々のちょっとした関わり方に迷います。

どう声をかけたらいいのか、叱っていいのか、甘やかしているのではないか、この習い事をさせていいのか、進路はこれでいいのか、等々。

 

また、自分の関わり方がよくないから障がいになったのではないか、と自分を責めることもあります。(違いますけどね。)

ただでさえ、親としての自信が揺らぎやすいです。批判されると、より無力感にさいなまれます。

 

お腹の中で育て、生まれてからおむつやミルクの世話をし、熱を出したら病院に連れていき、服を着せ、ごはんを食べさせ、毎朝起こし、お風呂に入り、一緒に遊ぶ。

そんな当たり前のお世話をずっとしてきたからこそ、子どもは園や学校、通院や療育に通えます。

それを毎日やり続けてきたのは親御さんなのです。

 

それに、毎日付き合っているからか、障がいだと気づかなかった頃から、その親御さんなりに工夫しているやり方があります。

何より、苦手さや難しさも含めて、子どものことをよく見ています。

 

だから支援者は、もっとこうしたらどうですか、と言う前に、保護者にまず「家庭ではどうしているのですか?」と尋ねてみてください。

 

丁寧に聞き出すと、すでに試したけれどうまくいかなかったことや、結構色々工夫していることがあります。(当たり前すぎて、わざわざ言われないんです。)

 

あまりにも素敵なアイディアばかりですから、私はつい、すごいですね~、ちゃんとやれてるじゃないですか~など、めちゃくちゃ褒めてしまいます。(お世辞でも何でもなく、本当にそう思うのです!)

 

発達障がいの子育ては、一般の子育ての延長にあり、基本は同じですが、丁寧な観察と細やかな工夫が必要です。

だから、我が子の障がいがわかっても、今までと180度異なることをするわけではありません。これまでの子育てに、発達障がいの視点をちょっとプラスするだけなのです。

我が子をよく見ている保護者だから、自然と工夫できているのだなと思います。

 

支援者は、それまで育ててきた親御さんへの敬意と労いを忘れてはいけません。親は『我が子の専門家』なのです。

家庭での対応をしっかり聞いて、すでに行われている工夫と、支援者の持つ専門性をミックスしたら、よりよい支援が生み出されます。専門家同士がコラボレーションするようなイメージです。

 

支援者は、親の立場、子どもにとっての一番の座を奪ってはいけないですし、そもそも奪えないものなんだなと思います。(もし目指すなら二番手以降です。)

 

親御さんの子育てを尊重し、耳を傾けて一緒に話し合おうとする姿勢は、親としての自信や主体性を取り戻すことを助けます。

これもまた、障がい受容を支えることの一つなのかもしれません。

 

その子とともに人生を歩む期間は、圧倒的に親御さんが長いです。

(親が一生面倒を見る、という意味ではありません。子離れ・親離れはまた別の課題であり、自立に向けての取り組みや支援者の役割については、ここでは触れていません。)

 

支援者はそのほんの一部分に関わるのみです。脇役です。どうせなら、名脇役を目指したいですね。

 

そのためには、本人や保護者の持つパワーを奪わないこと、その人が主体的に人生を生きられるサポートとはどういうものかを問い続けること、なのかもしれません。

…なかなか難しいことですけどね。

(終)

 

※ここに書いたことは、これまでの実践経験から得た知恵みたいなもので、研究による検証などは行っておりませんし、今後変わりうることもありますので、そのつもりでお読みください。

 

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