発達障がい児者は脳機能の特性から、視覚的な情報を活用した支援が有効です。
ですが、やみくもに視覚的な情報を使えばいいかというわけではなく、
どのくらい理解しているのか、個別的なアセスメントが必須です。
講座等では、わかりやすくするためだったり、時間の都合だったりして、
「見るものが入りやすいから、視覚支援が必要」とシンプルに伝えますが、
実際やってみると、これがなかなかすぐにはうまくいかないことも多いのです。
個々人によって、文字(漢字・平仮名、単語・文章)/絵/写真/動画/実物など、
理解しやすい視覚情報が異なるということもありますが、
視野の問題(呈示する高さや大きさ)や、一度に処理できる情報量がどのくらいか、
そして興味関心や、本人にとってのお得な内容かどうかも考慮しなければなりません。
厳密にいうと、発達障がいの方には、視覚支援だけというよりは、
もっと広く、構造化支援(=情報をわかりやすく整理して伝えること)が必要です。
わかりやすくする手段の一つとして、視覚情報の活用がなされるのです。
生活場面の雑多な情報を雑多なまま、ただ視覚化しただけでは全く伝わりません。
支援現場に行くと、せっかく視覚化しているのに、これはわからないかも、とか、
ここだと見えにくいなーとか、これは果たして面白いのかなー等々、
ちょっともったいない用いられ方をしていることが多く見られます。
なのに「視覚支援をやってみたけれど、あまり有効でなかった」と言われると、
何だかなーという残念な気持ちになることがしばしばあります。
それと、よく聞かれるのが、
「音声言語をしゃべっていたり、口頭指示でわかって行動できる子どもにも、
絵カードや文字を書いて見せることが必要なのか」
という疑問です。
答えはシンプルです。
「知的発達に遅れがなくても、成人になっても、視覚支援は必要です!」
当事者たちの多くが「そっちがわかりやすい」と言うのですから、確かです。
というわけで、視覚支援の必要性について、少し書いてみようと思います。
大きく4つにまとめようと思っていますが、その前提として、
先に確認しておきたいことが2つあります。(複雑でスミマセン…。)
1.『表出』の支援でも、視覚支援が必要であること
視覚情報の活用というと、親や先生など、支援者側が何かを伝えたいときに使う、
という考えがあるかと思います。
特に子どもの場合には、大人から教える事柄が多いことから、強調されやすいです。
コミュニケーションを『理解』『表出』『やりとり』という要素に分けて考えたとき、
支援側からわかりやすく伝えることは、本人の『理解』を育てる支援に当たります。
一方で、発達障がい児者は、本人から伝えたり選んだりすることも苦手としますので、
小さい頃から『表出』の支援を行い、丁寧に育てていく必要があります。
視覚支援は、この『理解』の支援と、『表出』の支援の両方で使われます。
そして、『表出』の支援は二段階あります。
これは、以前の『気持ちや体調に気づく』というブログ記事でも書きましたが、
自分の内面に気づくこと、それを表出することの二つの段階に支援が必要なのです。
(1)気づきのための視覚支援~『整理』
思春期以降の当事者と話していると、自分の気持ちや考えがモヤモヤしているとき、
書き出すことで、気づいたり整理したりしやすい、と言われます。
またお子さんでも、顔の表情イラストや、気持ちを表す単語をリスト化しておくと、
今の気持ちに近いのはこれと選んだり、他の言葉を思いついたりしやすいです。
他者に伝えるのは音声言語だとしても、その前の自分の気持ちに気づいたり、
言いたいことを『整理』するときに、視覚情報が大いに役に立つのです。
(2)表出するための支援~『再生』
普段は言葉で言えたとしても、緊張や不安が強くなると、
知っている言葉でも思い出せなくなることは、一般的によくあることかと思います。
対人関係とは、予想外の反応が多いので、発達障がい者にとっては緊張の連続です。
知っている台詞なのに出てこない、という場面が常であるということです。
その場合に、言いたいことをメモしておくと、思い出しやすくなります。
つまりカンペですね。お守りみたいなものかもしれません。
視覚情報により、蓄えた記憶の『再生』がしやすくなるのです。
2.視覚支援は、コミュニケーション手段として対等であること
定型発達の社会では、「言葉」「音声言語」を主なコミュニケーション手段にします。
ですので、言葉だけでわかること、言葉だけで伝えられることが推奨されやすいです。
言葉だけでやりとりできることは偉大で素晴らしいことだからと、
コミュニケーション支援の最終目標になりがちなのです。
その際、視覚支援はあくまでも補助的に使われるものとして位置づけられます。
確かに、「言葉」は身一つで素早く使えるので、便利なツールですよね。
視覚支援は、紙と鉛筆という道具と、ちょっとした手間が要るため、やや不便です。
少しでも言葉でコミュニケーションできた方が、暮らしやすいのは確かです。
ただ、定型発達の社会で生き抜くために必要なスキルを少しでも身につけることと、
定型発達者と同じになることとはイコールではありません。
言葉でのコミュニケーションの獲得が、後者の目的であることが大いに見られます。
定型発達者が優れていて、発達障がい者が劣っているという考え方につながるのです。
視覚情報がわかりやすくて伝えやすいなら、その手段のコミュニケーションもOK。
言葉だろうが、視覚情報だろうが、そこに優劣はなく、お互い尊重しながら補い合う。
視覚支援を活用するときに、そう思えるといいのではと思っています。
(その2に続く)
※ここに書いたことは、これまでの実践経験から得た知恵みたいなもので、研究による検証などは行って
おりませんし、今後変わりうることもありますので、そのつもりでお読みください。
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